シス・カンパニー公演 死と乙女
SIS company inc. のプロデュース作品のご紹介
 長く続いた南米チリ軍事独裁政権が終焉を迎えたばかりの1990年。チリの劇作家アリエル・ドーフマンは、ひとつの戯曲と向き合い始めます。自身もピノチェト軍事政権に弾圧され、長く亡命生活を送ってきた彼が、その実際の過酷な経験と目にした数々の事実の中で生み出したのが本作「死と乙女」です。
過去の痛みを抱えた3人の男女が密室で繰り広げる心理サスペンスは、発表当時、背景となった「事実」の大きさからもセンセーショナルな注目を浴び、高く評価されました。
その発表から30年近くを経た現代でも、世界各国で繰り返し上演され続けている本作に、この度、演出:小川絵梨子×宮沢りえ、堤真一、段田安則 が挑みます。
それぞれの記憶や言動の何が真実なのか、もしくは虚偽なのか、または妄想なのか、まるで「藪の中」を探るようなサスペンスフルな劇展開は、時代や政治体制、国の違いを越えて、私たちを魅了してやみません。

STORY

独裁政権が崩壊し、民主政権に移行したばかりのある国では、反政府運動への旧政権の激しい弾圧や人権侵害の罪を暴く査問委員会が発足。 かつて反政府側で戦っていた弁護士ジェラルド(堤真一)は、新大統領から、その中心メンバーに指名されようとしていた。彼の妻ポーリーナ(宮沢りえ)もジェラルドと共に学生運動に身を投じていたが、治安警察に受けた過酷な拷問のトラウマに苛まれ、未だに心身共に苦しんでいた。
ある嵐の晩。岬の一軒家では、ポーリーナが家に近づく見知らぬ車の音に怯えながら、様子をうかがっていた。
すると見知らぬ車からジェラルドが降りてくる。車の故障で立ち往生していたジェラルドは、偶然通りかかった医師ロベルト(段田安則)の車に助けられ、家まで送られてきたのだ。その後、家に招き入れられたロベルトの声を聞き、ポーリーナは凍りつき、やがて確信する。 この声、この笑い方、この匂い…。
この医師こそ、監禁され目隠しをされたポーリーナを執拗に拷問し、美しいシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」の旋律を流しながら、繰り返し凌辱した男だと…。かくしてポーリーナの激しい追及と復讐が始まった。
必死に潔白を訴えるロベルトと、妻の思い込みを疑い翻意させようとするジェラルド。
それぞれの心の中にあるのは、狂気なのか真実なのか。
記憶の暗闇にのみ込まれた3人の結末は・・・?
三人三様の心理のかけ引きやぶつかり合いに息をのむ、現代演劇最高峰の心理サスペンスに挑む3人の役者たちは、ここ数年を振り返っても、「今ひとたびの修羅」「近松心中物語」(宮沢×堤)、「元禄港歌」「コペンハーゲン」「ワーニャ伯父さん」(宮沢×段田)等、多くの共演作で互いに刺激を受け合い、信頼を重ねてきた顔ぶれ。彼ら3人が同じ舞台に立つのは2015年「三人姉妹」以来ですが、いよいよこのメンバーでは初めての3人芝居が実現します!
しかも、創作の共通言語を、役者それぞれと分かち合ってきた演出・小川絵梨子が、彼らと共に、この緊迫感あふれる戯曲の奥深くへと探究の旅に出かけるわけですから、最初からとてつもない高周波なエネルギーに包まれたスタートになりそうです。
これまで居た場所、これまで観てきた風景とは異なる何かが、この劇空間に放たれる予感と期待を胸に、シス・カンパニー公演「死と乙女」の開幕の日をお待ちください!

アリエル・ドーフマンとは

アルゼンチン生まれ。チリ国籍。小説家、劇作家、詩人、ジャーナリスト、人権問題活動家。両親はユダヤ人。
1945年一家で渡米。赤狩り時代の'54年にチリへ渡る。'70年、議会制下で初めての社会主義政権実現を目指したアジェンデ政権発足後、チリ国立大学で教鞭を執る。また、チリでの新しい文化の創造を目指し、児童文学やコミックスの分析に従事。国営出版社の児童・教育部門などで創作を重ねる。'73年、軍事クーデターによりアジェンデ政権が崩壊するとオランダに亡命。のちに米国ワシントンD.C.に移り、'92年よりデューク大学教授を務める。その傍ら、執筆活動を続け、その後、チリに帰国。'98年に20年の歳月を費した戯曲・抵抗3部作「谷間の女たち」「死と乙女」「ある検閲官の夢」を完成させた。他に「子どものメディアを読む」('83年)、「マヌエル・センデロの最後の歌」('87年)、「ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判」(2002年)、「世界で最も乾いた土地」('04年)などがある。'04年には、新国立劇場のために、「The Other Side/線の向こう側」を書き下ろし、上演されている。

「死と乙女」という作品

チリ独裁政権下で、自身も厳しい弾圧を受けてきた作家アリエル・ドーフマンが、その事実とシューベルトの弦楽四重奏曲『死と乙女』をモチーフに書き下ろした心理サスペンス劇。
1990年、ロンドンにて、ペネロープ・ウィルソン、マイケル・マロニーらによりリーディング劇として上演。
その後、チリでワークショップを実施後、1991年7月にロンドン・ロイヤル・コート・シアターにて初演され、ローレンス・オリヴィエ賞最優秀新作賞を受賞。1992年3月にブロードウェイに渡り、グレン・クローズ(ポーリーナ役)、リチャード・ドレイファス(夫ジェラルド役)、ジーン・ハックマン(医師ロベルト役)のキャスティング、マイク・ニコルズ演出で上演。3人の名優の壮絶な心理戦の駆け引きや息をのむほどの台詞の応酬、緻密で緊迫感あふれる演出が評判を呼び大ヒットを記録。グレン・クローズに、トニー賞最優秀女優賞をもたらした。
その後、世界各国でも競って上演され、日本でも多くのカンパニーによって上演されている。
1994年には、シガニー・ウィーバー(ポーリーナ役)、スチュアート・ウィルソン(ジェラルド役)、ベン・キングズレー(ロベルト役)の配役で、ロマン・ポランスキー監督が映画化。
作者ドーフマン自身も映画脚本を手掛けている。

シューベルト作曲 弦楽四重奏曲「死と乙女」とは

作曲家フランツ・シューベルト(1797〜1828)が自身の死を目前にした1824年に作曲した弦楽四重奏曲第14番。全体は、すべてが短調で書かれた4楽章で構成され、当時のシューベルトの絶望を描いていると言われている。
その第2楽章の変奏曲の主題に、シューベルトの歌曲「死と乙女」(1817年作)のピアノ伴奏部分を使っていることから、この四重奏曲も「死と乙女」と呼ばれている。そのテーマとなった歌曲「死と乙女」は、病の床に伏し「死」を拒否する乙女と、「死」は「永遠の安息」であると語りかける死神との対話を描いた楽曲。
後年、絵画の世界では、オーストリアの画家エゴレ・シーレ(1890〜1918)が若くして夭逝する直前に、その代表作「死と乙女」を遺している。時代を超えて、多くの芸術家を刺激し続けている楽曲である。

チリ・ピノチェト独裁政権

1970年、議会制民主主義のもとで、初の社会主義政権の実現を目指したアジェンデ政権が成立。
産業の国有化や農地改革など改革路線を次々と掲げ、民衆の支持を獲得。
しかし、国内の保守層やチリに権益をもつ多国籍企業、アメリカ・ニクソン政権との間に大きな軋轢が生じ、CIAは反アジェンデ勢力の軍部に資金を援助。資本家のストライキやアメリカによる経済封鎖など、さまざまな工作によりチリ経済や社会は大混乱に陥り、アジェンデ政権は追い込まれた。
そして、政権発足3年足らずの’73年9月11日に起きたピノチェト将軍率いる軍部クーデターによって倒されてしまう。権力を握ったピノチェト政権は、アジェンデが推進した国有化政策からの大転換を図り、外国資本流入を推進。一時的な経済の活況を見せたが、結果的に貧富の差が拡大するなど’80年代には経済は悪化。'83年以降には独裁反対運動が激化し、翌年には戒厳令が発令され、長い暗黒の時代が続いたという。
そして、'88年の大統領選でピノチェトが敗退したことで、'90年に民政移管が実現。17年近くに及ぶ軍事独裁政治の終焉を迎えた。
後に実施された真相究明のための調査によると、クーデター時に約4万人近く人々が政治犯として投獄され、その大半が厳しい拷問を受けていたという。また、軍事独裁政権の下、言論の自由は抑圧され、左派系の人々が数多く誘拐された。やはり後の真相究明委員会の調査で、約3000人の人々が「殺害」または「行方不明」と認定されている。
 【9・11】と言えば、2001年アメリカ同時多発テロ事件を記憶に刻み付けるキーワードになっているが、ラテン・アメリカ社会では、未だに、'73年9月11日勃発の「チリ軍部クーデター」を思い浮かべる月日と言われている。
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