1911年、神奈川県横浜市生まれ。’46年に劇作家・三好十郎主宰の戯曲研究会に入会し師事を受ける。
  同年に一幕物の戯曲『礼服』を雑誌「劇作」に発表。’52年に書いた『婚期』などで注目を受ける。
やがて、そのテーマは社会的な広がりをみせ、’54年に、売春など底辺に生きる女性を描いた群像劇『もの云わぬ女たち』を執筆。'60年発表の『村岡伊平治伝』を経て、'64年『常陸坊海尊』、’69年『かさぶた式部考』を発表。土俗説話から壮大で独自の民衆劇の形を確立。一躍、現代演劇を代表する作家の一人として認められる。以降、’74年『きぬという道連れ』、’75年『七人みさき』などを発表。独自の民衆劇は一作ごとに重厚味を増し、蜷川幸雄演出作として初めて書き下ろした『近松心中物語』で商業演劇の大劇場に進出。ここで誕生した「コンビ」は、その後、'80年『元禄港歌』、’82年『南北恋物語』を発表。蜷川×秋元コンビの「江戸三部作」として人気を博した。2001年4月、肺がんのために死去。享年90歳。
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