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シス・カンパニー公演 ガラスの動物園 |
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2011年に生誕100年を迎えたアメリカの劇作家テネシー・ウィリアムズ。 それにちなんだ上演も数多く見受けられますが、"メモリアル・イヤー"でなくとも、彼の戯曲は世界中で頻繁に上演され、特に日本では、舞台のみならず、英文学の教材や研究テーマとしても多く取り上げられるなど、最も親しまれているアメリカの劇作家、と言えるかもしれません。数多い作品の中でも、自伝的要素が色濃い本作『ガラスの動物園』(1945年ブロードウェイ初演/ '50年日本初演)の人気は高く、もうひとつの代表作『欲望という名の電車』('47年初演)と並び、時代を超えて人々を魅了し続けている不朽の名作です。
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大恐慌の嵐が吹き荒れた1930年代のセントルイス。その路地裏のアパートにつましく暮らす3人家族がいた。
母アマンダ(立石凉子)は、過去の華やかりし思い出に生き、子供たちの将来にも現実離れした期待を抱いている。 姉ローラ(深津絵里)は極度に内気で、ガラス細工の動物たちと父が残した擦り切れたレコードが心の拠り所だ。 父親不在の生活を支える文学青年の息子トム(瑛太)は、そんな母親と姉への愛憎と、やりきれない現実への閉塞感の 狭間で、いずれ外の世界に飛び出すことを夢見ている。 ある日、母の言いつけで、トムが会社の同僚ジム(鈴木浩介)をローラに会わせるために夕食に招待する。 この別世界からの訪問者によって、惨めだった家族にも、つかの間の華やぎがもたらされたかのようだったが……。 ![]() この物語は、かつて家を捨てた息子トムが、観客に向けて過去の出来事を語りかける、「追憶の芝居」という形で進行します。「忘却の彼方」から呼び起こされ、劇場の照明下に照らし出される「過去の断片」は、叶わぬ夢への挫折感と行き場のない閉塞感を抱えていたトムが過ごした家族との日々・・・。都会の片隅で世間から取り残されたように生きる3人家族が、三者三様に精神的孤立感を深めていく姿が、「過去」と「現在」の両方に存在するトムの視点から語られ、時に客観的で突き放したように、時に悔恨と郷愁に満ちた叫びをもって、私たちに届けられます。 この作品が、今もなお胸が締め付けられるような切ない叙情感を漂わせ、追憶の中の人物たちが輝きを失わないのは、誰の心にもある「家族」という普遍的なドラマが、この細やかな人物造形に重なり、私たちの感性を震わせるからなのかもしれません。そんな繊細な作品だからこそ、今回のキャスティングとスタッフィングの実現には長い年月を要し、ようやく念願の上演へと漕ぎ着けました。その理想の布陣は、過去の幻影から逃れられない母アマンダに、「演劇集団円」の中心人物・立石 凉子 、繊細なガラス細工のような神経の持ち主・姉ローラに、『ベッジ・パードン』での好演も印象深い 深津 絵里、語り手として作者自身の姿を投影する弟トムに、久々の舞台出演への期待も高まる 瑛 太、 一家に束の間の幸福感と残酷な現実を知らしめる訪問者ジムに、『泣き虫なまいき石川啄木』で観客の心を掴んだ 鈴木 浩介 という顔ぶれ。"追憶"という非現実の中で、リアルな人物像を演じるという重層的な世界に挑みます。 そして、演出には、翻訳劇に独自の視点と美意識で鋭く切り込む 長塚 圭史 を迎えました。この戯曲の冒頭には、作者による演出ノートが付記されており、「この作品には、写実的な決まりごとに囚われない自由な演出が必要」という言及があります。作品自体の熱狂的なファンも多い上に、この作者からの進言ですから、普通ならばプレッシャーにもなりそうなところですが、しかし、今回、注目の若手ダンスユニット「プロジェクト大山」を主宰する 古家 優里 を「振付」として加えたところに、長塚流の自由な演出アプローチの一端をうかがい知ることができます。作者が進言する「自由」という意味合い以上の「新鮮なニュアンス」が加味されるのではないでしょうか。 気鋭の演出家:長塚圭史、圧倒的な魅力と実力を誇るキャスト陣、そして、充実のスタッフワークが集結する舞台『ガラスの動物園』に、是非ご期待ください。 |
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