シス・カンパニー公演 ケンジトシ
SIS company inc. のプロデュース作品のご紹介
2020年4月10日(金)午前10:00更新
 宮沢賢治の言葉は、長きに渡り、日本人の人生や暮らしの中に寄り添ってきました。彼が残した言葉の数々は、新たなインスピレーションとなって多くの文学、演劇、音楽を生み出し、私たちを大地から宇宙へと誘ってきたのです。
 そんな世界に魅せられ、こだわってきた二人の演劇人−劇作家:北村想と演出家:栗山民也−も、長く宮沢賢治と向き合ってきた演劇界の巨頭たちです。
 北村想の書き下ろしというと、シス・カンパニーとのタッグでおなじみとなった「日本文学シアターシリーズ」が定番となっていますが、この度、そのシリーズから離れた新作を、演出:栗山民也の手に委ねることとなりました。意外にも、現代演劇の第一人者・栗山民也の目が、北村想の世界に注がれるのは初めてのこと。どこか摩訶不思議で哲学的で、ある意味、人を煙に巻いたような語り口でありながら、いつしか美しくも瑞々しい叙情感へと導かれる北村想の世界…。彼が、「宮沢賢治と妹トシ」の絆をどのように描き、栗山民也がどのような切り口で舞台上にその世界を描き出すのか。期待が膨らむ顔合わせです。
 また、栗山民也とシス・カンパニーは、2012年に朗読「宮沢賢治が伝えること」を上演。賢治の詩や童話を、38人の役者たちで幾通りにも声の組み合わせを変えながら朗読で表現した経験があります。ソロでの朗唱から声を合わせた群読まで、様々な表現を受け容れる宮沢賢治の世界の奥深さを再発見した貴重な経験でした。
 今回、再び栗山民也演出で、賢治の世界と再会することは、私たちシス・カンパニーにとっての大きな喜びです。
【宮沢賢治とその妹トシ】
 賢治の妹トシ(とし子)と言えば、「永訣の朝」という詩に出てくる一節 ―「あめゆじゅとてちてけんじゃ…」― を思い浮かべる方々も多いでしょう。死の床で熱にうなされながら、兄に「雨と雪を取ってきてほしい」と繰り返し訴える、この切ない言葉は、この兄妹の関係を象徴していると言われています。
 実際に、賢治より2歳下の妹は、聡明で、開校したばかりの花巻高等女学校に進学。成績もトップの才女であり、後に東京の日本女子大学校にも進学。女子教育の最先端の洗礼を受けた人物でした。実家は浄土真宗でありながら、賢治は法華経に傾倒していきますが、トシ自身も信仰についての学びを重ね、賢治の宗教観のよき理解者として精神的な支えであったと言われています。そして、若くして病に倒れ、故郷に戻り闘病を続ける中、賢治との絆を深めていきますが、賢治が見守る中、トシは24歳で早世します。そこから賢治は11年後に37歳で世を去ります。
 北村想の本作は、そういった関係をルポルタージュのように描き、何かの「結論」や「真実」を求めているわけではありません。舞台上では、兄妹に関心を寄せる第三者の目を通して、二人の濃密な対話や発見を追いかけていきます。そこから漂う瑞々しさや時にユーモラスな言葉の応酬から浮かび上がる二人の生命の交感…。栗山演出が、どのように舞台上にその輝きを刻み付けるのでしょうか。皆様には、舞台上の人物たちと共に、東北の大地の土塊を踏みしめるように旅をし、風のように言葉を受け取めていただければと願っています。
【出演者たち】
 ケンジ=宮沢賢治を演じるのは、舞台、映像の両分野で進境著しい中村倫也。2009年「バンデラスと憂鬱な珈琲」、2010年「えれがんす」以来、10年ぶりのシス・カンパニー公演への登場となります。そして、4月シス・カンパニー公演「桜の園」からの連投となる黒木華が妹トシを演じます。2019年のドラマ「凪のお暇」での共演が大きな人気を呼んだ二人は舞台では初共演。人気の顔合わせに再び注目が集まります。また、段田安則が演じる兄妹に関心を寄せる男が、カギを握る人物として登場します。その助手:田中俊介を従え、兄妹の言動を追いかけながら物語を牽引していきます。加えて、稲継美保、河内大和、斉藤直樹、野坂弘、依田朋子が賢治の世界観を立体的に描いていく役割を担い、ビオラ奏者の向島ゆり子がその弦の調べから物語を彩ります。
宮沢賢治の年譜
◆1896(明治29)年
8月27日、岩手県稗貫郡里川口村(現在の花巻市)に誕生。家業は質・古着商。弟妹は2歳下の妹トシ、5歳下の次妹シゲ、8歳下の弟清六、11歳下の末妹クニ。
◆1903(明治36)年
町立花巻川口尋常高等小学校入学。3年生時の担任が「家なき子」など童話を読み聞かせ、感銘を受ける。4年生頃から鉱物、植物、昆虫採集に熱中。
◆1909(明治42)年
県立盛岡中学校(現盛岡第一高等学校)入学。2年生で岩手山に初登山。中学の先輩石川啄木が「一握の砂」を刊行。3年生より短歌の創作開始。4年生で仙台方面に修学旅行。初めての海を見る。親鸞の教えを説いた「歎異抄(たんにしょう)」に感動。
◆1914(大正3)年
盛岡中学校卒業。鼻炎手術で入院中に看護婦に初恋(失恋)。家業を手伝うも貧しい者相手の商売への嫌悪感から  ノイローゼ気味に。「漢和対照妙法蓮華経」にいたく感動する。
◆1915(大正4)年
盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)に首席で入学。翌年特待生に。短歌186首を詠む。
◆1917(大正6)年
同人誌「アザリア」創刊。翌年、父と卒業後の進路、信仰について対立。農林学校卒業。日本女子大学校在学中の妹  トシ入院、母と上京。童話創作を開始する。翌3月帰郷、家業を手伝い、不本意な生活を送る。
◆1921(大正10)年
無断で上京。街頭布教や奉仕活動のかたわら、創作活動に夢中になる。トシの病気により帰郷、「どんぐりと山猫」「月夜のでんしんばしら」「注文の多い料理店」などを書く。「愛国婦人」掲載の「雪渡り」で生涯唯一の原稿料5円をもらう。稗貫農学校(後の県立花巻農学校)教諭に就任。
◆1922(大正11)年
「くらかけの雪」「小岩井農場」「イギリス海岸」を書く。11月27日、妹トシ永眠。
賢治の一番の理解者で最愛の妹を喪った嘆きは深く、「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」を書く。翌年、樺太旅行。
◆1924(大正13)年
心象スケッチ『春と修羅』を自費出版。農学校生徒と自作の劇を上演。イーハトーヴ童話『注文の多い料理店』を刊行。
初版1000部。ほとんど売れず。「銀河鉄道の夜」第一稿が成立。
◆1926(大正15・昭和元)年
3月、花巻農学校を依願退職。実家を出て独居自炊生活を開始。開懇、花壇作り、音楽の練習、レコードコンサートを始める。各地に肥料相談所を準備。草野心平に詩を賞賛される。12月にチェロを持ち上京、オルガン、チェロ、タイピング、エスペラント語を練習。年末に帰郷、田植え時期は肥料設計、稲作指導に奔走する。
◆1928(昭和3)年
「聖燈」に「稲作挿話」(未定稿)発表。日照りで稲作指導に奔走。12月急性肺炎に。症状思わしくなく、病床生活が続く。
◆1931(昭和6)年
東北砕石工場の技術宣伝を担当。「風の又三郎」執筆進む。壁材料宣伝のため上京中に発熱、家族宛てに遺書を書く。父に連れ戻される。11月3日、病床で手帳に「雨ニモマケズ」を書く。
◆1932(昭和7)年
「児童文学」に「グスコーブドリの伝記」を発表。挿絵は棟方志功。
◆1933(昭和8)年
病中にもかかわらず農民の肥料相談に応じる。9月21日、容態急変。知人に法華経1000部を配るよう父に遺言し、午後1時30分永眠。
★3月3日、岩手県東方沖を震央とする昭和三陸地震発生。三陸地方に大津波来襲し、死傷及び行方不明者3000人超。
 速報発表時から、「ケンジトシ」というタイトルはどう発音するんですか?と多くの方々から質問をいただいています。
イントネーションの上げ下げで印象も異なってきますね。でも、そこは自由自在な北村想の劇世界ですから、どう読んでも間違いではありません。まさに自由な風のごとく、この世界観に思いを巡らせていただければ、楽しみも増してくるのではないでしょうか。それでは皆様、劇場でお会いしましょう!
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